俳優として活躍している赤楚衛二さん。
そんな赤楚衛二さんですが、名古屋学院大学を中退したという話があります。
お父様が名古屋学院大学の学長を務めているということで、進学から中退までの経緯が気になりますよね。
そこで今回は、
- 赤楚衛二が名古屋学院大学に進学した理由
- 大学中退の経緯と理由
- 父親の反応
主にこれらについて詳しくお伝えしていきます。
それでは、早速本題に入っていきましょう!
赤楚衛二が名古屋学院大学に進学した理由
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赤楚衛二さんは、2012年4月に名古屋学院大学外国語学部英米語学科に入学しました。
進学の大きな要因となったのが、父親である赤楚治之さんの存在でした。
赤楚治之さんは1989年から名古屋学院大学の講師として勤務し、1999年には外国語学部教授に就任。
その後、学部長や大学院研究科長などを歴任されています。
赤楚衛二さんは中高生の頃から父親に英語を教えてもらっており、それが進学の動機の一つとなりました。
実際に大学で英米語を専攻した際も、単なる語学としてではなく学問として面白さを感じられたと語っています。
大学中退を決意したきっかけ
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赤楚衛二さんが大学を中退したきっかけは、2013年19歳の時にサマンサタバサのメンズモデルオーディションでグランプリを受賞したことでした。
このオーディションでの成功を機に、トライストーン・エンターテインメントに所属することになり、本格的な芸能活動のために上京を決意します。
実は赤楚さんが俳優を目指したのには、より深い理由がありました。
赤楚さんは、高校生の頃から「家族を幸せにしたい」という思いがあったそうです。
そして、家族で月に1回映画を見る習慣があったことから、「自身がテレビや映画に出れば家族は楽しめるのではないか」という考えに至ったのだとか。
赤楚さんは、この夢を実現するため、名古屋学院大学外国語学部英米語学科の2年生時に中退を決意し、芸能活動に専念する道を選びました。
父親の意外な反応と家族の支援
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名古屋学院大学で教授を務めていた父親の赤楚治之さんの反応は、意外なものでした。
父親は息子の決断を支持し、「皆、悩みつつ生きがいを見つけていく。早いうちにそれを見つけられたのはよかった」と、むしろ背中を押してくれたのです。
赤楚衛二さん本人は、父親の反応について次のように語っています。
父は厳しい人ですが、進路については寛容でした
出典:Precious.jp
しかし、上京後の道のりは必ずしも順調ではなかったようです。
上京して1年間は事務所にも所属できず、苦しい時期を過ごしました。
それでも、大学を辞めてまで上京してきたため、両親に「諦めます」とは言えず、必死に頑張り続けたそうです。
まとめ
今回は、赤楚衛二さんの名古屋学院大学への進学から中退までについてお伝えしてきました。
赤楚衛二さんは父親である赤楚治之さんの影響で名古屋学院大学に進学しましたが、サマンサタバサのメンズモデルオーディションでグランプリを獲得したことをきっかけに、俳優の道を目指すことを決意します。
大学教授の父親は意外にも赤楚さんの決断を支持し、温かく背中を押してくれました。
上京後は苦労の連続でしたが、その決断は正しかったと言えるでしょう。
現在では多くの作品で活躍する赤楚衛二さんの、今後のさらなるご活躍が楽しみですね。
それでは、ありがとうございました!
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