女優として活躍している水野美紀さん。
そんな水野美紀さんですが、2005年頃に芸能界から一時的に干されていた時期があったと言われています。
事務所との対立が原因で、仕事が激減したとの噂もありますが、一体何があったのでしょうか?
そこで今回は、
水野美紀が干されていた理由
について詳しくお伝えしていきます。
それでは、早速本題に入っていきましょう!
水野美紀は干されてた?
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水野美紀さんが干されてた理由とは何だったのでしょうか?
その最大の理由は、所属していたバーニングプロダクションからの独立と言われています。
2005年に水野美紀さんは、バーニングプロダクションから独立を決意します。
しかし、この独立は円満なものではなかったそうです。
独立の背景には、水野美紀さんとバーニングプロダクションの間で、芸能活動の方向性について意見の対立があったと言われています。
水野美紀さんはアクション女優として活動したいという強い思いがあり、小学6年生から中学まで少林寺拳法に通っていた経験もありました。
一方で、バーニングプロダクションは水野美紀さんを清純派の美形女優として売り出そうとしていたようです。
事務所との対立の真相
バーニングプロダクションからの独立後、水野美紀さんの仕事は激減することになります。
特にテレビドラマや映画への出演がほとんどなくなり、メディアから姿を消すことになってしまいました。
当時、バーニングプロダクションは芸能界で強大な影響力を持っており、所属タレントの独立に対して厳しい姿勢で知られていました。
水野美紀さんの独立も、事務所側からすれば寝返りと受け取られかねない行動だったのかもしれません。
また、水野美紀さんは当時30歳を過ぎており、自身の演技の幅を広げたいという思いがあったようです。
しかし、日本の芸能界では事務所の意向に従うことが重要視される傾向があり、このような考え方の違いも対立を深める結果となってしまいました。
干された期間の活動
水野美紀さんが干されていた期間は、主に2005年から2006年頃の約2年間と言われています。
この間、テレビや映画からは遠ざかることになりましたが、水野美紀さんは新たな挑戦を始めていました。
2007年には演劇ユニット「プロペラ犬」を設立し、主宰者として活動を開始。舞台を中心とした活動に力を入れ、演技の幅を広げる努力を続けました。
また、同年にはデザイナーとしても活動を開始し、自身がデザインを手掛けるブランド「サード・ファクトリー」を立ち上げています。
そして2009年頃から、水野美紀さんは徐々に芸能活動を再開していきます。
蜷川幸雄演出の舞台に出演したり、2011年の映画「恋の罪」では初のフルヌードシーンに挑戦するなど、従来のイメージを覆す演技で注目を集めました。
完全復帰のきっかけとなったのは、2012年の映画「踊る大捜査線 THE FINAL」への出演でした。
これには主演の織田裕二さんの働きかけがあったと言われています。
その後は、テレビドラマや映画への出演が増え、コメディからシリアスまで幅広い役柄をこなす実力派女優として、再び高い評価を得ることになりました。
まとめ
今回は、水野美紀さんが干されていた時期や事務所との対立、その後の活動についてお伝えしてきました。
水野美紀さんは2005年にバーニングプロダクションから独立し、約2年間芸能活動が制限される事態となりました。
しかし、その間も舞台活動や新たな挑戦を続け、2012年頃には完全復帰を果たしています。
現在では実力派女優として様々な作品で活躍されている水野美紀さんの、今後のさらなるご活躍が楽しみですね。
それでは、ありがとうございました!
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