TOKIOといえば、長年にわたり日本の音楽シーンを盛り上げてきた人気グループです。
しかし、あまり知られていない事実として、デビュー前には6人のメンバーで活動していた時期があったのをご存知でしょうか?
今回は、TOKIOの6人メンバー時代や初期メンバー、そして脱退理由について詳しくリサーチしてみました。
TOKIOは2025年6月25日に解散を発表し、長い活動の幕を閉じることになりました。
しかし、その歴史を振り返ると、メンバーの変遷や6人での活動など、知られざるエピソードが数多く存在します。
ファンの方はもちろん、音楽史に興味がある方にとっても、TOKIOの歴史は非常に興味深いものとなっています。
それでは、TOKIOの6人メンバー時代から解散までの軌跡を、詳しく見ていきましょう。
TOKIOはメンバー6人だった?

TOKIOが6人のメンバーで活動していたのは、正式デビュー前の1992年頃のことです。
この時期、グループは変則的な形で活動しており、ライブツアーなどを行っていました。
6人メンバー時代のTOKIOは、テレビやライブでは6人で活動し、雑誌やラジオ、CMなどでは5人で活動することもありました。
この変則的な活動形態は、当時のジャニーズ事務所の戦略の一環だったと考えられています。
しかし、この6人体制は長くは続きませんでした。
CDデビュー直前に1人のメンバーが脱退し、5人体制でのデビューとなったのです。
この変化は、グループの方向性や個々のメンバーの志向の違いなど、様々な要因が絡み合った結果だと言われています。
6人時代のTOKIOのメンバー構成
では、6人時代のTOKIOメンバーは誰だったのでしょうか?
その構成は以下の通りです。
- 城島茂(リーダー、ギター・ボーカル)
- 国分太一(キーボード・ボーカル)
- 松岡昌宏(ドラム・ボーカル)
- 山口達也(ベース・ボーカル)
- 小島啓(ボーカル・ギター)
- 長瀬智也(ボーカル・ギター、当時サポートメンバー)
この6人のメンバーで、TOKIOは精力的に活動を行っていました。
特に注目すべきは、長瀬智也さんの位置づけです。
当時、長瀬さんはサポートメンバーとして活動しており、正式メンバーとは少し異なる立場にありました。
6人それぞれが個性豊かで、音楽的な才能も高かったTOKIOは、デビュー前から大きな注目を集めていました。
しかし、デビューを目前に控えた時期に、グループの構成に大きな変化が訪れることになります。
TOKIOメンバーの脱退理由と変遷
TOKIOは長い活動期間の中で、いくつかのメンバー変更を経験しています。
それぞれのメンバーの脱退理由と、グループの変遷について詳しく見ていきましょう。
小島啓の脱退
最初に脱退したのは小島啓さんでした。
1994年、CDデビュー直前のことです。
小島さんの脱退理由については、公式な発表がなく、様々な噂や説が存在します。
- パイロットを目指してアメリカへ留学するため
- 芸能活動を反対していた親との約束を守るため
- メンバーとの対立
- 不祥事(喫煙やファンとの関係、電話番号流出など)
- 自身の歌唱力への限界を感じたため
これらの説の中で真実がどれなのかは、現在も明らかになっていません。
小島さんの脱退後、長瀬智也さんが正式メンバーとなり、TOKIOは5人体制でCDデビューを果たしました。
山口達也の脱退
2018年、TOKIOに大きな転機が訪れます。
ベース担当の山口達也さんが、未成年女性への強制わいせつ事件を起こし、社会的な批判を受けて脱退することになったのです。
山口さんは、NHK Eテレ『Rの法則』で共演した女子高生を自宅に呼び、酒に酔った状態で無理やりキスをしたなどの行為が発覚。
書類送検され、起訴猶予処分となりました。
この事件を受けて、山口さんはTOKIOを脱退し、ジャニーズ事務所も退所することになりました。
この事件は、TOKIOのイメージに大きな影響を与え、グループの活動にも支障をきたすことになりました。
特に音楽活動は長期間の休止を余儀なくされ、これが後の長瀬智也さんの脱退にも影響を与えることになります。
長瀬智也の脱退
2021年、TOKIOに再び大きな変化が訪れます。
長瀬智也さんが、音楽活動の制約や「表現者」としての新たな挑戦を求めて脱退を決意したのです。
長瀬さんの脱退には、いくつかの要因が絡んでいました。
- 山口達也さんの事件によるTOKIOの音楽活動休止の影響
- 「ジャニーズのアイドル」という枠組みへの葛藤
- 自身の表現者としての新たな挑戦への意欲
長瀬さんは芸能界からも完全に引退し、裏方や自身の表現活動に専念する道を選びました。
この決断は、ファンに大きな衝撃を与えると同時に、長年のTOKIOメンバーとしての活動に一区切りをつける形となりました。
解散時のメンバー
2025年6月25日、TOKIOは解散を発表しました。
解散時点でのメンバーは以下の3人でした。
- 城島茂
- 松岡昌宏
- 国分太一
国分太一さんは、コンプライアンス違反により活動を休止していましたが、正式にグループを脱退したわけではありませんでした。
そのため、解散時のメンバーとして名を連ねています。
まとめ
TOKIOの歴史を振り返ると、6人メンバー時代から解散までの道のりは、決して平坦なものではありませんでした。
メンバーの脱退や不祥事、そして個々の成長と変化が、グループの形を変えていきました。
6人メンバー時代のTOKIOは、城島茂、国分太一、松岡昌宏、山口達也、小島啓、長瀬智也という個性豊かなメンバーで構成されていました。
しかし、デビュー前に小島啓さんが脱退し、5人でのスタートとなりました。
その後も、山口達也さんの不祥事による脱退、長瀬智也さんの新たな挑戦を求めての脱退と、メンバーの変遷が続きました。
それぞれの脱退には、個人的な理由や社会的な背景が大きく関わっていました。
TOKIOは、こうした変化を乗り越えながら、常に進化し続けてきました。
6人時代から3人での解散まで、彼らの音楽と活動は多くの人々に影響を与え、日本の音楽シーンに大きな足跡を残しました。
TOKIOの歴史は、アイドルグループの変遷と日本の音楽産業の変化を映し出す鏡でもあります。
彼らの軌跡は、これからも多くの人々に語り継がれていくことでしょう。


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