長嶋一茂と父・長嶋茂雄の絶縁状態が話題となっています。
なぜ野球界の大スターとその息子の間にこれほど長期の絶縁状態が生まれたのでしょうか?
今回は、長嶋一茂さんと父との絶縁の真相に迫ります。
13年間会わなかった理由や、相続放棄発言の背景を詳しく解説していきます。
長嶋一茂は父と絶縁していた?

長嶋一茂さんと父・長嶋茂雄さんの絶縁状態は、2021年11月に発売された雑誌「ゲーテ」の連載エッセーで一茂さんが明かしたことで広く知られるようになりました。
一茂さんは、「父とはもう13年会っていない」「生きているうちに父と会うことはもう二度とないだろう」と衝撃的な告白をしたのです。
この絶縁状態に至った経緯には、複数の要因が絡み合っています。
主な出来事として、以下の3つが挙げられます。
母・亜希子さんの死(2007年)
長嶋家の調和を保つ存在だった母・亜希子さんの死は、家族関係に大きな影響を与えました。
特に長嶋茂雄さんが体調を崩していた中での出来事だったため、一茂さんにとっては精神的な支えを失う大きな出来事となりました。
この時期から、家族の間に見えない距離が生まれ始めたとされています。
商標登録争い(2008年~2009年)
2008年頃、長嶋一茂さんの個人事務所「ナガシマ企画」が父・長嶋茂雄さんの名前の商標登録を申請しました。
しかし、すでに父の名前の商標権は妹の三奈さんが代表を務める「オフィス・エヌ」が保有していました。
この申請に対し、三奈さんが強く反発し、家族間で法的な対立にまで発展しました。
この出来事は、家族間のビジネス感覚の違いや権利関係をめぐる深刻な対立を引き起こし、関係悪化の大きな要因となりました。
父母の遺品売却問題(2009年頃)
2009年頃、一茂さんが父や母の愛用品を無断で約2,000万円で第三者に売却したとの報道がありました。
この行為は、三奈さんをはじめとする家族の強い怒りを買い、親子・兄妹の関係に決定的な亀裂を生む出来事となりました。
家族の大切な思い出の品を金銭に変えたことで、一茂さんへの不信感が一気に高まり、関係修復が困難な状況に陥ったのです。
13年間会わなかった驚きの理由

長嶋一茂さんと父・長嶋茂雄さんが13年間会わなかった背景には、上記の出来事に加えて、さらに複雑な事情がありました。
家族内の権力構造の変化
母・亜希子さんの死後、長嶋茂雄さんの世話をする叔母(亜希子さんの義妹)の存在が家庭内で大きな影響力を持つようになりました。
この人物と一茂さんの関係が良好ではなかったことも、父との距離を広げる要因となったと言われています。
妹弟との関係悪化
一茂さんは父だけでなく、妹弟とも10年以上連絡を取っていない状態だったことを明かしています。
家族全体との関係が断絶状態にあったことが、父との再会を困難にしていた大きな理由の一つです。
価値観の違い
一茂さんは父・長嶋茂雄さんについて「昭和の父親」というイメージを持っており、家庭より仕事を優先する父の生き方に対して複雑な思いを抱いていたことを語っています。
この親子間の価値観の違いも、長期の絶縁状態を生む要因となりました。
相続放棄発言の真意とは

長嶋一茂さんは、2018年のテレビ番組「ワイドナショー」や2021年の「週刊文春」のインタビューで、「父の遺産は放棄している」と発言し、話題となりました。
この発言の背景には、複雑な家族関係や遺産をめぐる争いを避けたいという思いがあったと考えられています。
法的な観点からの解釈
法律上は相続放棄は被相続人の死後、3か月以内に家庭裁判所に正式な申述をしなければ成立しません。
そのため、一茂さんの発言は法的には「意思表示」にすぎず、実際の相続放棄手続きとは別物であると専門家は指摘しています。
発言の真意
一茂さんのこの発言は、家族間の遺産争いを避けたい、また複雑な家族関係に巻き込まれたくないという強い意思表示だったと解釈されています。
長年の確執や家族内の複雑な力関係を考慮すると、この発言は一茂さんなりの家族問題への対処法だったと言えるでしょう。
まとめ
長嶋一茂さんと父・長嶋茂雄さんの13年にわたる絶縁状態は、単なる親子喧嘩ではなく、家族内の複雑な人間関係や利害関係が絡み合った結果でした。
商標権争い、遺品売却問題、そして家族内の権力構造の変化など、様々な要因が重なり合って、この長期の絶縁状態を生み出したのです。
一茂さんの相続放棄発言も、こうした複雑な家族関係の中で生まれた一つの対処法だったと言えるでしょう。
2025年6月に長嶋茂雄さんが逝去された後の家族関係については、プライバシーに配慮し詳細は控えますが、長年の確執は最後まで完全には解消されなかったようです。



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