1966年に静岡県で起きた、一家4人殺害事件における冤罪被害者の袴田巌さん。
長年にわたる再審請求の末、2024年9月26日に静岡地裁で無罪判決が下されました。
無実の袴田巌さんが、なぜ犯人と疑われ、逮捕されてしまったのでしょうか。
とっても気になりますよね。
そこで今回は、
袴田巌はなぜ疑われた?
についてお伝えします。
袴田さんが疑われた理由や、逮捕に至った経緯について詳しく見ていきましょう。
袴田巌はなぜ疑われた?
まず、事件の概要と背景について、簡単におさらいしましょう。
1966年6月30日、静岡県清水市(現静岡市清水区)のみそ製造会社の専務宅で火災が発生。
専務一家4人が殺害されるという、痛ましい事件が起きました。
当時28歳だった袴田巌さんは、この会社の従業員でした。
事件発生から約2か月後の8月18日、袴田巌さんは逮捕されます。
1960年代の日本では、警察や検察の捜査手法に対する批判的な視点が、現在ほどは強くありませんでした。
また、袴田巌さんの元プロボクサーという経歴が、社会的な偏見を生んだ可能性も指摘されています。
このような状況下で、袴田さんはどのような理由で疑われ、逮捕されたのでしょうか。
袴田巌が疑われた3つの主な証拠
袴田さんが犯人として疑われた理由には、主に3つの証拠が挙げられます。
1. 血のついたパジャマ
袴田さんの居室から、極微量の血痕が付着したパジャマが発見され、これが逮捕のきっかけとなりました。
しかし、後の鑑定で血液型が判定不能という結果が出ているそうです。
2. 5点の血染め衣類
事件から1年2か月後、工場のみそタンクから血痕の付いた衣類が発見されました。
これらの衣類が有罪の決め手とされましたが、発見のタイミングや状態に不自然な点が多く指摘されています。
再審では、これらの証拠が捏造された可能性が指摘され、無罪判決の重要な根拠となりました。
3. 自白調書
警察は袴田さんに対して連日連夜、厳しい取り調べを行いました。
1日平均12時間、最長17時間にも及ぶ過酷な取り調べの末、袴田さんは自白に追い込まれました。
この自白調書も、有罪判決の重要な証拠となりました。
袴田巌のアリバイと逮捕に至った経緯
袴田さんが逮捕されるに至った経緯には、アリバイの欠如も大きく関係しています。
事件当日の袴田さんの行動について、明確なアリバイを示すことができなかったことが、疑いを深める結果となりました。
また、警察は当初から袴田さんを犯人と決めつけて捜査を進めたとされています。
元プロボクサーという経歴が、暴力的な犯行のイメージと結びついた可能性も指摘されています。
これらの要因が重なり、袴田さんは逮捕され、起訴されることとなりました。
まとめ
今回は、袴田巌さんがなぜ疑われ、逮捕されたのかについてお伝えしてきました。
袴田さんが疑われた主な理由は、血のついたパジャマや5点の血染め衣類の発見、そして厳しい取り調べによって得られた自白調書でした。
また、明確なアリバイがなかったことや、元プロボクサーという経歴も、袴田さんへの疑いを深める要因となりました。
しかし、2024年9月26日の再審無罪判決で、これらの証拠の信頼性が否定され、袴田さんの冤罪が晴れることとなりました。
この事件は、日本の刑事司法制度の問題点を浮き彫りにし、冤罪防止のための重要な教訓となっています。
今後、この判決を機に、より公正で信頼される司法制度の実現に向けた議論が進むことが期待されます。
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