お笑いコンビ「次長課長」のメンバーとして活躍していた河本準一さん。
そんな河本準一さんですが、2012年に母親の生活保護受給が問題となり、大きな騒動に発展しました。
振り返ってみると、この騒動は芸能界だけでなく、生活保護制度のあり方についても大きな議論を巻き起こすきっかけとなりました。
そこで今回は、
河本準一の生活保護受給騒動
について、発端から現在までをまとめてお伝えします。
それでは、早速本題に入っていきましょう!
河本準一は何した?

お笑い芸人として活躍されている河本準一さん。
そんな河本準一さんですが、母親の生活保護受給問題が世間を騒がせました。
河本準一さんが、芸人として多くの収入をもらっていた時期に、河本さんの母親が生活保護を受給していたそうです。
人気お笑いコンビ「次長課長」の河本準一さん(37)が25日、東京都新宿区の吉本興業東京本部で記者会見し、河本さんの母親が生活保護を受給していたことを明らかにした
出典:日本経済新聞
今回は、その生活保護受給問題の全容について見ていきたいと思います。
生活保護受給問題とは?
河本準一さんの母親が生活保護を受給し始めたのは1997年頃のことでした。
当時、母親はスーパーの鮮魚コーナーで働いていたそうです。
ところが、病気にかかってしまったことで就労が困難となり、医師から就労を止められてしまいました。
この頃の河本準一さんは、芸人として仕事がほとんどない状況で、年収は100万円にも満たない状態だったそうです。
そのため、母親が福祉事務所に生活保護の相談をした際に、河本準一さんは「申し訳ないが面倒を看られない」と回答。
福祉事務所は河本準一さんの状況を考慮し、母親の生活保護受給を認めることになりました。
この時点での生活保護受給は、制度の本来の趣旨に沿ったものだったと言えます。
問題が大きくなったのは、2012年4月に週刊誌が河本準一さんの母親の生活保護受給を報じたことがきっかけでした。
この頃の河本準一さんは、十数本のレギュラー番組を持つ人気芸人となっており、推定年収は5000万円とも言われていました。
しかし、収入が増加したにもかかわらず、母親の生活保護受給は継続されていたのです。
なぜ、河本準一さんが収入増加後も生活保護を継続させたのでしょうか。
もしかしたら、芸能界という不安定な職業柄、将来への不安があったのかもしれません。
また、生活保護制度に対する認識の甘さもあったように思われます。
僕自身の認識が甘く、母親の生活保護を終わらせる時期が遅れてしまったのは確かってこと
出典:GOETHE
生活保護費の返納と謝罪会見の内容
2012年5月25日、河本準一さんは東京・新宿の吉本興業東京本社で謝罪会見を開きました。
会見で河本準一さんは、「むちゃくちゃ甘い考えだった」と涙ながらに謝罪。
河本準一さんは、一貫して自身の認識の甘さを認め、真摯に謝罪されました。
河本さんは「むちゃくちゃ甘い考えだった」と謝罪
出典:日本経済新聞
その後、2012年6月26日、河本準一さんは母親が受給していた生活保護費の返納を行ったことを発表。
返納額は公表されていませんが、収入が増え始めた2006年もしくは2007年以降の受給分を返還したとされています。
河本準一さんは返納について、「お世話になった分のお金をお返ししたい」と明言。
さらに、お世話になった岡山の福祉に対して継続的な貢献をしていく意向を示しました。
この対応は、単なる謝罪以上に、社会的責任を果たそうとする意思の表れだったように感じます。
まとめ
今回は、河本準一さんの母親の生活保護受給騒動についてお伝えしてきました。
河本準一さんの母親は1997年に病気で働けなくなり生活保護を受給。当時の河本準一さんの年収は100万円未満でした。
その後、河本準一さんの収入は増加しましたが、母親の生活保護受給は継続。2012年に週刊誌で報じられ、大きな騒動となりました。
この騒動は、生活保護制度の在り方や芸能人の社会的責任について、私たちに多くの示唆を与えてくれました。
また、河本準一さんの真摯な謝罪と返納の姿勢は、失敗を認めて改善しようとする人間の誠実さを示す一例となったのではないでしょうか。
それでは、ありがとうございました!
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